「益田の日本遺産を辿る」レポ(FB)

島根県益田市で日本遺産の雪舟庭園と石見神楽を巡り、鑑賞する一連の取材&レポをFacebook上で行いました。
辿って気づいたのは、益田の文化の高さ。益田の土壌が、柿本人麿の史跡をはじめ、益田氏勢力・七尾城しかり、幕末の戦地・扇原関門跡しかり、この地にグラントワ(島根県芸術文化センター)がある由縁がよく理解できます。石西神楽ともいわれるスタイルの、益田石見神楽の独自性・文化性もこの様な土壌に影響され、舞子の根源に色濃く根付いているのだと考えます。(KAO)

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①益田の日本遺産を辿る【萬福寺を訪ねる】(6/23配信)

 閑静な住宅の中に静かな威厳を醸し、佇む萬福寺。門をくぐると広い境内と趣ある姿形の本堂が気持ちを穏やかに落ち着かせてくれます。
 変遷を経て、慶安7年(1374)に、益田七尾城11代城主・・・
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②益田の日本遺産を辿る【萬福寺 雪舟庭園に佇む】
─益田市東町 萬福寺。梅雨のひとときを新緑に囲まれながら過ごす─(6/27配信)


本堂の裏手にある石庭は、文明11年(1479)、画聖雪舟等楊禅師により造られた、須弥山世界(仏教の世界観)を象徴したものです。益田七尾城15代城主、益田兼尭(かねたか)公が雪舟を招き、造らせました。(雪舟が念願の中国留学・・・
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益田の日本遺産を辿る【萬福寺 雪舟庭園Movie】(6/30配信)

室町時代、名だたる水墨画家・雪舟が造った石庭「雪舟庭園」。
右は深みのある築山で枯滝をもち、左は平坦で一際明るく、明と暗を巧みに使い分け、須弥山世界(仏教の世界観)を象徴し造られました。画聖として名の知れた雪舟が500年以上前に益田の地・萬福寺に描いた庭園作品を、ぜひご覧ください。

 

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益田で日本遺産の石見神楽を鑑賞する
【石見の夜神楽益田公演① 岩戸】(7/4配信)


─先ずは岩戸のその始め、隠れし神を出さんと、八百万の神遊び、これぞ神楽の始めなる─
天上界高天原を治める天照大御神(あまてらすおおみかみ)に対し、須佐之男命が多くの悪戯をし、大御神は天の岩戸に閉じこもってしまい・・・
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益田で日本遺産の石見神楽を鑑賞する
【石見の夜神楽益田公演② インタビュー】(7/7配信)

毎週土曜の晩、益田神和会11団体で順番に上演し神楽を披露する、石見の夜神楽益田公演。この日担当の石見神楽上吉田保存会代表者、上角正憲様に貴重なお話を聞かせていただきました。

 

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益田で日本遺産の石見神楽を鑑賞する
【石見の夜神楽益田公演③ 天神】(7/11配信)


─こち吹かば匂いおこせよ梅の花 主なしとて春な忘れそ─
平安朝、天穂日命(あめのほひのみこと)の後継である菅原家に生まれた菅原道真(すがわらのみちざね)は、歌人としても名が立ち・・・
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益田の日本遺産を辿る【医光寺を訪ねる】(7/14配信)


訪れると大きな戦国門が。益田市染羽町の住宅町に突如として現れるこの構造物は、益田七尾城の大手門で、関ヶ原の合戦後に移築された歴史の深く刻まれた門です。その奥に見える医光寺は、臨済宗東福寺派の寺院で、薬師如来を・・・
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益田の日本遺産を辿る【医光寺 雪舟庭園に佇む】
─益田市染羽町医光寺。とりどりの緑の中で雪舟に思いを馳せる─(7/18配信)


文明10年(1480)、画聖雪舟等楊禅師により造られた医光寺の雪舟庭園。「鶴亀」を主体とした武家様式で、鶴を模った池の中に亀島を浮かべているのが特徴です。
訪れたのは梅雨最中の水無月、池にできる波紋・・・
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益田の日本遺産を辿る【医光寺 雪舟庭園Movie】(7/21配信)

室町時代、名だたる水墨画家・雪舟が造った石庭「雪舟庭園」。
吉兆の代名詞である「鶴亀」を主体とした池泉鑑賞半回遊式の見事な庭です。この益田の地で終焉した雪舟が無心で描いた庭園作品を、ショートMovieでご覧ください。

 

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益田の日本遺産を辿る【医光寺 雪舟庭園Movie】(7/21配信)

─こち吹かば匂いおこせよ梅の花 主なしとて春な忘れそ─
平安朝、天穂日命(あめのほひのみこと)の後継である菅原家に生まれた菅原道真(すがわらのみちざね)は、歌人としても名が立ち、文武に優れ、光孝天皇・宇多天皇・醍醐天皇と三代の帝に朝廷で仕えるほどの秀才でした。
醍醐天皇に右大臣に命ぜられ、学者として異例の出世を果たしますが、勢力の強い藤原氏から選任された左大臣 藤原時平(ふじわらのときひら)の妬みにあい、讒言(ざんげん)により、九州太宰府へと左遷され、その地で生涯を終えます。
後に藤原時平が落雷により命を落とし、その雷が菅原道真の怒りである逸話が残り、道真の思いを果たす物語として天の神「天神」として神楽化され、古くより石見地域で演じ続けられています。
上吉田保存会による、風雅な道真の神舞い、荒々しい時平の舞いのコントラストと、手に汗握る決戦の様子を7分の動画に圧縮しお届けします。

 

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益田の日本遺産を辿る【医光寺 雪舟庭園Movie】(7/25配信)

石見神楽上吉田保存会の得意演目の一つ、「岩戸」。特に若手団員が力を入れている演目で、抑え気味に舞う兒屋根・太玉、潤しい宇津女、男らしく勇ましい手力男と、それぞれの配役の演じ分けが功を奏し、この演目らしい一体感を上吉田の舞いで表現していることが、客席にも伝わります。最後の「喜びの舞い」は、万民の弥栄(いやさか)を祈るもので、晴れ晴れしく歌を口ずさみながら舞う姿が、とても印象的でした(映像は冒頭に「喜びの舞い」を配し、脚色を加えています)。
「これぞ神楽の始めなる」宇津女命が、岩戸の前で踊ったことが神楽の始まりとされ、天照大御神と八百万の神を楽しませた事から『神楽』といわれています。

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◎配信媒体/島根県西部石見観光公式Facebookページ「石見神楽」(石見観光振興協議会)
◎取材協力/萬福寺、医光寺、石見神楽上吉田保存会、益田市観光協会(敬称略)
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